たべることのはなし

f:id:rousokuyo:20160107114429j:plain

 

 

ここ2年くらいのなかで

ゆるやかにかわってきたなあと思うことは

わが家のごはんのこと。

たべることにたいする見方というか。

 

すこし前まで、わたしがつくっていた。

時間におわれながら

苛々したりしながら。

あまりたべないうちの子どもたちに

せっかく作ったんだからもっとたくさんたべてよとか

はやくたべなさいとか言ったりして。

玄米や、からだに優しい野菜のおかずなんかを

本を見てはりきって作ってみるのだけど

よけいにたべなかったりして

また苛々したり落ち込んだりしていた。

 

それからときがたって

いつのころからか

やっちゃん(だんな)と、まいにち一緒に買いものに行き

一緒にごはんをつくるようになった。

それからは

つくることや、たべること

材料のことや、野菜のこと、農のこと

農薬やタネのこと、添加物のこと、放射能のこと。

いろんなたべることの話(それ以外のはなしも)をしながら

まいにち家族そろって食べるようになった。

 

すると、わたしのなかにある

「こうでないと」という

自分や家族にたいする食べ方の縛りを

どんどん手放していけている自分に気づいた。

 

いろんな話を向きあってしても

誰とはなしても、意見はぶつかりあう。

やっちゃんとでも、子どもたちとでも。

でもつくりながら、たべながらする話は

へーそうなんやーふんふん

みたいな感じで、たのしい会話。

(たまにもめることもあるが)

いつのまにか

ふたつの価値観だったものが

いくつかの価値観だったものが

まじりあって、ちょうどいい価値観となっていったのかもしれないな。

 

それから

すこしづつ

からだがかわってきた。

わたしだけでなく、家族の。

太いとか、小さいとかの

外からの価値観や

ムリにでもたべさせて大きくさせるとか

アレルギーだからとか

栄養素にとらわれてあたまで考えたたべ方は

こころをまずしくさせてしまう。

 

たべたいときに、たべたいものをたべること

やっちゃんと、子どもたちと買いものへ行く、

ここにあるもので、いただいたもので、新鮮なもので。

たのしく作ってたべること。

みんなでそろってたべること。

 

子どもたちは

自分のお小遣いをもっているから

コンビニなんかでお菓子を買うこともあるけど

味のちがいや、砂糖の攻撃的な甘さ、

保存料の入ったもの(新鮮でないもの)の味

そんなものがわかるようになってきた。

お肉もチョコレートもたべるけど、たくさんは食べられない。

気もち悪くなってくるらしい。

 

それでいいんだと思う。

それがいいんだと思う。

小さなころは、囲って、阻止することもできたけど

もうそんなことできる年齢でもない。

(本人の希望で給食をたべない子もいるけどね)

ルールはつくらなくていいんだった。

自分にしばりをつくらないことがルールだ。

あとはおいしいものたべたーいという気もちと

愛があれば。

 

 

広告を非表示にする