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学校ってなんだ、のつづき

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中学校に行かなくなったハネタにたいして

なんとか行けるように、、とはわたしは思わなかったし

今も思ってない。

それよりもまず、ああやっぱりなと思ったし

それは、「あちゃー」という感じよりも

納得したというか、ほっとしたような気もち。

中学校はほかの子にとっては平気なことでも

ハネタにはなんだかいっぱい感じているように思えたし

無理しているようにもみえた。

でもこれまではなにもいわずに行っていたので

こちらも気にしないようにしていた。

 

すっかり行かなくなった頃はまいにち家にいた。

かといって、行き場をなくし部屋に閉じこもられるのはイヤだった。

部屋にとじこもらず、朝はみんなとごはんを食べよう

ということだけはしっかり伝えた。そして家の仕事もしてもらうことも。

「学校に行かないのもありやし、

ほかの行き場(フリースクール)をさがすのも協力するよ」

ということも伝えておいた。

それでもしばらくは

部屋でダラダラしている日々をすごしていた。

わたしには煩わしかった。

これからの不安があったわけでもないけど

家に居ることがわたしのこころを重くしていた。

ダラダラすることも、本人にとっては意味があることかも?と

こころにいい聞かせても、そうはなかなか思えなくて苛々することもおおかった。

わたしが外で仕事をしていたら気にならなかったかもしれないけど

店をしながらは(下に子どもの気配があることが)しんどかった。

苦しいとしたらそこだけだった。

母ちゃんとして、子どもに「いってらっしゃーい」と言えないことが

こんなにもしんどいのか?

それとも他にしんどさの理由があるのか?

いつも胸がざわざわしていた。

 

フリースクールもいろいろさがしてみたが

不登校」と呼ばれる子が行くためにおとなが用意した

「疲れた羽をすこし休めるための場所」という印象に

なんか違和感があった。

そもそも不登校ってなんだ。

学校へ毎日来てほしい立場の人

もしくは毎日行くべきだと考える人の見え方なのではないか。

わたしから見て、ハネタが学校へ行かないのは

あまりにも自然で、あたりまえで、

行っていた頃がふしぎなくらいなのだ。

だから、不登校と呼ばれる子のために用意された場所へ行くことは

中学校へ通うのとおなじくらいの違和感を感じた。

 

ひとつだけ「ここはどうかな?」というところが

友だちの子どもがかよっている

オルタナティブスクールだった。

ここはいわゆる不登校と呼ばれる子が行く学校ではない。

教室で黒板に向かってすわり、先生の授業を聞くだけの公教育とまたちがい、

子どもたち自身が日常の体験をとおして

わき上がってくる興味や疑問を「学び」ととらえて

おとなはその環境をつくり、サポートしていくという学校だ。

そこではおとなも子どもも対等で、互いに学びあい育ちあっている

そんな思いが、先生の話から伝わってくる。

いつしかハネタは、すきな格好してお弁当をもって

毎日そこに行くようになった。

本人に学んでいる自覚はないけれど、

「中学校で授業中寝てばかり」のころよりは

はるかに手を動かし、からだを動かし、

たくさんの人に支えられて日々過ごしている様子。

まいあさ「行ってきまーす!」と

元気に自転車に乗って出かけていくようになった。

 

学校へ行っていないことは

あまり理解されることはない。

ひきこもりや心身ともに不健康な状態になってから

「そら行けんわな、ゆっくり休んだらええ」と思えるほどの事態でないと

学校に行かない選択というのは

しにくい世の中なんだということを思い知らされる。

わたしの胸のざわつく理由はそこだったんだ。

ハネタが学校に行かないことを

自然であたりまえ!と言うてるわたしこそ

親として、タブーなことを言うている

そんな空気がわたしに重くのしかかってきてるんだった。

そのざわつく胸はおいといて

それでも元気に手をふって出かけるすがたが

今日も見えたことがうれしい。

 

 

 

 

 

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