なんもできんのはなし



あかちゃんにおっぱいをあげている時期というのは
あたまの思考回路が
そうしていないときとちがい
筋道をたててものごとを考えるということができない。
これは4人の子育ての どのときもそうだったのだけど
からだがおっぱいをつくっているとき特有の
「考えない、考えられない」時代。
気もちとか、感覚とかが最優先で
しっかりと人に伝えられる言葉がうかばない。
こうしてブログを書いているいまも
雰囲気でしかもの申せない。


どんなホルモンがでて
からだがどういう仕組みだからかは
医学的にはしらんけど
わたしはこのボンヤリした時代を
最大限にたのしみたい。


今、さらにめがねをしないといろんなものが見えない。
なのに、めがねのつるが折れたり
人んちに忘れたりして
ほとんどかけていないんだけど、
よみまちがいが多いのなんのって。
数字のよみまちがい、漢字のよみまちがい。
お客さんにウソの値段をいうてみたり
雑誌や新聞は、雰囲気でしか読んでいない。


それでも、それでまあいいか
と思えるのが
このおっぱいをあげている時期。


ほんとうは
こまかいこと
ごちゃごちゃ考える性分が
それをせずいられるのが嬉しい。
あかちゃんにも
子どもたちにも、だんなにも
思いどおりにいかないいろいろにも
おっぱいやりながら
「まあええかー」
と思える。


だんどりもできん
やりたいことができん
やらなあかんこともできん
いままでできていたことが
なんもできん


それでも、
それができんでだれが困るん?
だれも困れへんやん!
そんな風にも思えるのです。


ろうそく夜のお店も
それで、あけることになったのです。


これはおっぱいをあげているひとを
「母」にさせてくれる仕組みなんちゃうかな。
と、このごろよく思う。


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