保育所のはなし



うちの3人の 子どもたちは
幼児期を「共同保育所」ですごしました。
保育所はもともと
共働きで子どもを家で見られない家庭が
「預かってもらう」場所としてはじまったものだけれど
この「共同保育所」は
ただ、あずかって見ててもらう保育ではなく
なかまとともに、心もからだもすこやかに
自分らしく、のびのびと育ってほしい、
そのためには、子どもたちにとって
よりよい環境を、みんなで考えてつくっていこう
そんな思いと知恵と力とお金をだしあって作った
保育所のこと。
全国にたくさんあります。(県内にはたったひとつ)
職員からの一方的な保育でもなく
親からの一方的な要求でもなく
子どもをまん中に、
いつも大人たちがあたまをつきあわせて
本気で考えて、話しあって、いろんなことを決めて運営、経営してきた。


わたしはこのとき
ようやく
ともに生きることを体験から学んだ。
なかまとともに生きる、
夫婦としてともに生きる、
家族としてともに生きる。


3人の子どもはもうすでに卒園してしまったけれど
保育所時代の時間は子どもだけでなく
親もまた、親として育ててもらった貴重な時間。
あの保育所にいかなければ
わたしは
子どもをひとりの小さいひととしてみることも
安心して、人に甘えたり、迷惑をかけたりすることもできず
ひとりよがりの子育てをしていたのではないかと思うのです。
もちろん
そんな保育所へかよわずとも
そんな気づきのあるひとはたくさんいるし
いいなーとおもう子育て観をもっている人にも
卒園してからもたくさんであった。


わたしにとっては
あの場所が必要だったんだとおもう。


もう13才になったふうた(長男)も
卒園して沖縄に行ってしまった友だちが
毎年夏やすみになると、わが家に1週間くらいホームステイするので
当時のクラスのみんなで
「同窓会川あそび」をやっている。
わたしなんて子ども時代の保育所
ともだちとつながりなんて無い。
ふうたたちにとっては
小学校以降に知り合った友だちよりも
安心して、心をゆるせるなかまなんだそう。


ゴールデンウィーク
九州に行ってしまった友だちが
数年ぶりに帰ってきた。
保育所はおなじでも、年齢がちがう子たちなのに
関係なくあそぶ。
母たちが飲み会に行ってしまったあと
子どもたちはお泊まり会。
「おー久しぶり」
「なんかちょっと顔かわったな」
とかいいながら、みんなであそぶ。(トランプとか)
高校生や、中学生、小学生でいりまじりながら
照れもなく、ほんとうに楽しそうにあそぶ。
きょうだいやいとこに似ている関係かもしれないな。


わたしがこの年齢のころは
特定の仲のいい同級生以外とは
話なんてできなかったように思う。
照れくさくて、部屋にとじこもったりしてね。


どの子も
保育所のころから知っている子たち。
それぞれの子がどんなふうに育ってきたのか
よ〜く知っている。
そしてうちの子らのことも
うまれた赤ちゃんのときから
よ〜く知ってくれている。
そんな中で、子育てしてきた安心感。
そのことが、今のわたしを支えてくれている。
ひとりではないという安心感。


いま、小さいひとと暮らしながら
もう孤独ではない子育てがあるのは
そういう場所がわたしにみつかったから。


はじめての子育てをしているひとにとっては
やっぱり、孤独な子育てが
不安につながることって
きっといっぱいあるとおもう。
子どもだけでなく
親にも、なかまって必要やもん。
ご近所づきあいや、地域の人づきあいが、
薄れつつある今
保育所なんかが果たす役割は大きいと思う。
共同保育所にかぎらず
地域の学校やなんかが、
そんなあたたかい場所になりますように。



      すぎの子共同保育所

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