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わすれないでいるための記録




妊娠も後期になってきて
おなかはまんまる。
暮らしも色んなことが不自由になっている。
はじめの子をうんだときと、年齢もずいぶんちがうしなー
でも、これまで以上に成長してる(!)家族のフォローはすごいとおもう。
これまでの妊娠は、うえの子たちもまだまだ手がかかる年齢だったけど
今はなんでも、たよれば動いてくれる。
だんなも、いつも一緒にいる生活。
頼んだり、たよったりしながら、みんなでまわしていくことのできる暮らしがありがたい。


そんな満たされた環境の中でも
妊娠がわかってから
じつはずっとずっと自称「マタニティブルー」で
鬱々とした日々だった。
仕事をしているときはいい感じに、ピン!と気が張っているので
楽しくいられるんだけど
ヤスミになると、鬱々。
これから子どもがうまれる、家族がふえる、
暮らしがまた変化する、
そんな実感がもてず
「わたしお母さんになれるかなー」が口ぐせになっていた。
まわりの友だちは、すでに3人うんでいるわたしの言うことがわからず
「?」という顔をしていた。
それもそうなんやけど。
小さい人がまたうちにやってくることが
どんなに人に「楽しみですねー」と言われても
「絶対かわいいよ」と言われても
まったく実感がわかず
イメージがもてず
上の3人の子どもたちとのリアルな日々ですら
課題は山積みで
悩んだり落ちこんだりする日々なのに
「さらにもうひとり!」とか授かっても
正直なところ「くるしいよ〜」というきもちがぬぐい去れず
妊娠中なことを、いつも忘れていたい気もちがどこかにあった。
だからせっせと仕事をしてこれたんだと思う(私はね)。


大きくなるおなかも
いつもかんじる赤ちゃんのうごきも
とおいところで感じながらも
なかなかむきあえずすごした。
病院の検診は、産科のない婦人科なので
今までのように、助産師さんや産科医さんとかかわっていくうちに
産むことのイメージをつくっていけたのが
今回はそれも無い。
「どこで産むの?」とひとにきかれても
「さあ?まだ決めてないです」とこたえていた。



どのみちいずれ
どんなかたちでも産まれてくるんだからと
鬱々としながらも、そんな自分のことは否定せずに
年末年始をやりすごしていたら
もう8ヶ月に入っていた。
妊娠がわかったときから、動物性のものが食べられなくなっていたが
今は「食べられない」ことはない。
やめていたカフェインも、たまにミルクティが飲みたくなったりする。
おなかの子のからだもずいぶんできてきたのかな?
とかんじる。
そして、だんなといっしょに出産のときのイメージを
いっぱい話すようになったら、上の子たちの出産は
仕事仕事でまったくそばに居なかったけど
今回は、だんなも自分の役割を一生懸命考えているようだった。


なにをしたわけでも、動いてみたわけでもないが
期が熟し、
ようやく私のこころもからだに戻り
「産まれる」ことに向いている感じがする。
動物のわたしが、子どもを産みおとす場所と環境を
せっせとつくりだそうとしている感じ。
あの鬱々としていた時間は、ここにくるまでに必要だった準備期間だ。
無駄なことでも、ネガティブなことでも、ブルーなことでもなかった。
妊娠するとはそういうものなんだ。
ひとり目の妊娠したときとくらべれば
今のわたしのほうが、ずっと私らしく、人間らしく、動物らしくていい。
そう居させてくれる、家族にこころから感謝。




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