子そだてはほんとに終わる

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きのう、久しぶりに家族でごはんを食べた。

この春高校を卒業する長男のふうたが

夕方ひょっこり帰ってきて、晩ごはんを食べて帰ることになった。

 

 

ふうたは高校に入った時に家を出た。

少し離れた町の、わたしの実家で、祖父母と一緒に暮らしている。

 

わたしはその時、まわりの15歳はみんな家から高校に行ってるのに、なんでわたしは長男と離れないと行けないのかと、日々泣いて暮らしていた。

きっとそんな親子はたくさんいるだろうのに、私だけがとつらく思っていた。

 

長男のふうたは、食物科を出て、この春調理師免許を取得して卒業するが、食の仕事とは全く関係ない、木工かなんかの仕事をする(よくわかってない)。

地元の企業に就職が決まり、すでに車の免許も取り、遊び呆けているみたい。

 

なので食の仕事がしたくてその高校へ行ったわけではなく、早く家を出たかったのだという。ようするに家の居心地が悪かったのだろう。

16年前、わが家は小さな小さな家を建てた。どこにいても、家族の気配が感じられる、仕切りのないワンルームのような家にした。

子どもが育つ時期はあっという間。だからどんな小さな気配も感じられる家にしたかったと、雑誌「天然生活」に掲載されたこともある。

 

うちは家で喫茶店をしていたこともあり、その結果、バリバリの思春期になった子どもは居場所がなく、この家にいたらプライベートもあったもんじゃない、とっとと家を出よう!と、長男はほんとにとっとと家を出た。

 

しかし、それはわたしの想像をこえるくらいの子どもの成長を見せてくれたので、今になって思えば、よかったと思う。

 

ふうたは子どものころ、とりたてて勉強ができる子でもなければ、何か得意な事がある子でもなかった。(と思う)

嫌なことでも我慢したり努力したりするような人でもなかった。(と思う)

 

地味に折り紙とか、コマ回しとか、アジをさばくのとか、餃子を包むのとか、評価してもしなくてもいいような事が得意な子だった。

 

そして、これが好き!!という事がとくにない子だった。(たぶん)

 

親は塾も習い事もさせていなかったし、ふうたの、のび太くんみたいなところを魅力的だとも思っていた。(人の評価をきにしないとこ、マイペースな自分を受け入れているとこ)

 

 

わたしは子どもの時からこれが好き!という事がいろいろあって明確だったので、子どもたちには好きなことをして生きてほしいというのが強い願いだった。

 

でもそれは、好きなことがない、好きなことがわからない子には、酷な願いだったと思う。

 

ふうたはしかし、マイペースに、その時の感覚でやりたい事を選択できる子ではあるので、無理せず自由なこころを持っている。

 

就職する時、やりたい事がとくにないので、仕事は休みがキッチリあって、給料がそれなりにあるところがいいというのが、決め手だった。

わたしとは真逆の考え方だった。

わたしは休みや給料よりも、内容が最重要課題だった。

 

学校や社会になかなか馴染みにくかったわたしとはちがい、どんな場所でもどんな仕事でも、自分はできるという根拠のない自信あるようだ。

 

ふうたは高校3年間ずっと同じラーメン屋さんでアルバイトをした。

自分から人とかかわり、居心地よい場所にするのが得意な彼ならではだと思う。

そこで社員かというくらい稼ぎ、お小遣いをいっぱい持っていた。

なのでわたしは、高校に入ってからのふうたにほとんど小遣いをわたすことがなかった。

自動車教習所も、自分で通った。

これを自立というのかも知れない。

 

それはやりたいことをやる、好きなことをやるという事とは別の価値観であり、たくましさであり、強みだってことをわたしは彼から知ることができた。

 

わたしは早く家を出たふうたを想い、日々泣いていたけど、子どもは自分の力でどんどん進んでいる。

わたしとは違う生き方をえらんで。自分で決めて。

その事がいまは、とても誇らしく、まぶしい。

 

その目線で、いま傍にいる4歳の末っ子、ひびたをみると、

すでにもう、わたしの手のなかにはいない。

いると思っているのは親ばかりで

子どもはへその緒を切ったときから

すでにひとりの人として、歩きだしている。親がどんなにこっちだよ、こっちが正解だよと言うたとしても、子どもは半分以上聞いてない。

 

ならば、今一緒に居られる時間を、ひたすら味わおう。

 

もうそれしかないと思った。

 

子どもが今、目の前にあることを、自分で迷いなく選択できるように、決めていけるように、いっぱい話を聞きたいと思う。

いっぱい聞いて、そして、あんたの思い、わかるよ!っていっぱい言うてあげたい。

 

親にできることはそのくらいだなあと、ほんとうに思う。

 

 

子そだてはほんとに終わる。

あっという間に終わる。

大変だったことは全部忘れて、思いでと感謝が残る。

 

星の坊主さまのおはなし会💫

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先週は、星の坊主さままつりでした✨

参加されていない多くの方々からは

「星の坊主さまって、アレなんだったん?きになってたんよ〜〜」と言われ

少なからず反響はあったと思います。

 

わたしの説明不足で、申し込みに至らなかった方もいたと思います。。。

 

でもやはり、ピンときた方、必要な方にはちゃんと届いていたように思います。

 

 

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わたしがおふたりからいただいたメッセージはまず

地球は混沌としているからこそ美しいってこと。

さまざまな価値観が入り交じり

いつもこころは複雑で、

世界は多様化を認めあおうという流れがようやく見えはじめたにもかかわらず

自分とは違うものを

否定的に見て、ないことにしようとする自分の愚かな部分に

いつもネガティブなきもちになっていたけど

 

「地球は混沌としているから美しい」

 

そんな言葉がわたしにすんなり入って

世界の見え方が変わった。

そうか!と思った。

ほんとに、どんな存在も

「いて、よし!」

と思えるのがいいよね。

 

 

 

そして

 

 

自分の、いのちの火を燃やし続けること。

他人の火に自分の火をくべるのでもなく

人から奪うのでもなく

自分の火は自分で燃やす。

時に自分で、消そうとしてしまうこともあるけど(!)

ろうそくくらいの小さな火でもいい。

自分のいのちの火は、自分で燃やすこと。

 

するとやがて火は風を呼び、

大きな火柱となり燃えあがるから。

 

自分の火を自分で燃やすこつは

自分をしあわせにすること。

 

自分のために

今すぐ!

すべての選択肢を

自分をしあわせにすることにベクトルを向けて!

その積み重ねこそが

自分の火を燃やすことにつながり

やがて風が吹いて

しあわせの炎は大きくなる🔥

 

 

 

こじょうさんのおはなしとてもおもしろかった。

そして。あいの手を添えるゆみこちゃんの声がすごい波動で、みんなを包みこんで、ぐいぐいと引き込まれるおはなしだった。

 

 

いつかまた会いたいな。

星の坊主さま✨

 

 

長ーい、ひとりごと

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お店をしていていつも思うことがある。

 

わたしはプロではない。

 

いや、それ言うてる暇があったらプロになれよ!という叱咤の言葉が聞こえてきそうですが、スルーします。

 

素敵な喫茶店やカフェなどに行くと、その仕事っぷりに、さすがプロやなーと心から尊敬するし、すごいなあと思う。

でもそれを見てわたしは、同業者という感覚がない。

ないことに自分でビックリする。

 

言い訳みたいだけど、

サボってるとか、怠けてるかというと、そういった感覚も無いのです、決して。誤解のないように言うておきますが。

 

「じゃあわたしって何なん?」

ろうそく夜って何なん?てことです。

 

来ていただいた方にはご存知のとおり、

週4日しか開けていない

メニューの種類の少ない

いつ行っても閉まっているか

ごはんが売り切れている店です。

 

ここまで書いて

胸がちょっと痛くなった。苦笑

 

見る人から見れば、

やってる人から見れば

やるきのない店なのだと思います。

 

 

誰だって、わたしだって

いついっても開いてるお店のほうがいいし、

いろいろなメニューがあるほうが楽しい。

 

でもそういう店にしないわたしは何なん?って話ですよね。

 

 

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子どものころからわたしは

まわりの環境になじめなくて

どこか隔たりがあるように感じでいました。

人との距離感がわからず、家族とのコミュニケーションも、友だち付き合いも上手ではありませんでした。

 

人と比べて、できないことが非常に多くて、コンプレックスのかたまりでした。

 

学校ではまわりと同じ事をしないといけないことが苦痛で仕方がなかった。

みんなが同じ制服を着ていることも違和感でしかなかった。

 

できるかできないかでしか評価されなかったので、自己評価もできるかできないかだけだった。

 

でもどこか自分の中に、キラリとしたものを感じるのに、それが何なのか、言語化できるほど確かなものは、まだ持っていなかった。

 

自分に用意された環境と、自分との間には、すごい距離があった。

 

 

 

好きなことはいっぱいあった。

 

まず絵を描くこと。工作。裁縫。部屋の模様替え。お菓子づくりや料理。

しかし、どれも得意といえるものではなかった。

上手といわれる代わりに、味があるねと言われた。

なので、好きと得意は違うんだと思っていた。

努力が足りないからよと言われたことがあるが、努力しはじめたら途端に嫌いになってしまうので、わたしは努力を選択しなかった。

高校の時に美大を目指したが、デッサンをしているうちに絵が嫌いになりそうだったので、やめてしまった。

 

社会人になっても当然、世間の人が働くような場所では無理だった。

 

わたしは、どちらかというとダメ人間として生きてきた。

人から見れば自分を甘やかしてきたタイプだろう。

でも、努力でなんとかなりそうな部分だけでなく、先天的なキャパの狭さはわたしの人生の大きな壁となり、若いころはそれがとても苦しかった。

生きていくことはしんどい事だと思っていた。

みんなと同じようにできないことは生きにくい事だと思っていた。

 

 

 

話しをろうそく夜に戻します。

 

 

ろうそく夜のごはんやおやつに

特別感は全くないと思う。

どちらかといえば家のごはん。

家のおやつ。

 

クリスマスなどのイベントにも乗っからないし、見た目も控えめ。

 

でもわたしは、それがいいなあって思っているのです。

 

得意でやっているわけではない。

好きでやっている。

できることだけ、無理せずやっている。

 

若かりしころのネガティブな思いはもうない。

 

わたしはわたしにしかできないことをしているのではなく、

 

わたしは誰にでもできることを、わたしがやってみてるだけなのだと思う。

 

ろうそく夜に来たことのある方なら

いちどは思ったことないでしょうか。

 

「こんな店ならわたしもできそう」

 

そんな風に思ってもらえる店いいなあって思うのです。

ごはんやおやつも、これだったら作れそうとか思ってもらえるといい。

 

たくさんの方が写真を撮ってくれてSNSに載せてくれるけれど、

ほんとうは

人に見てもらうごはんやおやつとも思ってないのです。

 

わたし、料理もお菓子作りもすきだけど全然得意ではない。わたしより上手な友だちはたくさんいる。

 

でも自分がつくるごはんやおやつ、じつはとてもすきです。大きな声では言わないけど。

 

なのでわたしはいつも

4割くらいのちからしか出してないと言います。

やればできる子なのかもしれないけど、人から見た頑張りやさんにはなろうと思わない。

誰でもができるような店であることに、

やりすぎないことに、無理してないことに、地味で目立たないことに、

価値をおいている。

 

4割のちからしか出してないけど

4割の質をいかに上げるか

そのためには

できてない6割にフォーカスしないこと。

 

そのことをわたしは

子育てから学びました。

 

この話をするとさらに長くなるので

またこんど。