秋の匂いがする

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ろうそく夜は2人がけのテーブルが4つ。

今日はそれぞれのお席に、お客さんがひとりづつ。

(小さな子連れの方もいるんですけど)

それぞれのお席で、それぞれの時間をすごしていて

 

たとえばひとりめの方はお茶を飲みながら、ものおもいにふけってみえて、

ふたりめの方は、ベビーカーのあかちゃん連れ。

あかちゃんが寝てくれている間に、息抜きの甘いもの。

3にんめの方は、おそめのお昼ごはん。

4にんめの方は、小さな娘とデート。

 

なんでもない光景なんだけども

私にはなんだか短編映画でも観ているような

切ないような気もちになるのは

秋がきたからなのだと思います。

 

しまんと日記

夏の終わり、高知の四万十に友だちにあいに行ってきた。

yumahare(ユマハレ)という屋号で手縫いで洋服を仕上げたり、繕いものをしたりする井上香織ちゃんの暮らす家。

 

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香織ちゃんとのおつきあいはなんやかんやですでに長く、ろうそく夜でも、古いセーターからつくるくつ下の会や、ももひきの会でお馴染みの、あの香織ちゃん。

わたしは香織ちゃんの、あたらしくうみだすのではなく、ここにあるもので使わなくなったものから生まれ変わらせる暮らしという精神に、とても惹かれていて、ものをただのものとしてでなく、まるで物語を紡いでいるような姿に、いつもいつも、はっとさせられるのです。

 

そして久しぶりに会った香織ちゃんは相変わらず、少女のように小さくて、屈託なくて、でもおばあちゃんのようにたくましく、時々弱々しくも見えるけど、ひとりで山の中の古屋を、こつこつと作り上げているのだから、やはりたくましいのだろう。

 

わたし世代が子どもの頃住んでいたくらいの古い家。

家の前には、すでにわたしたちが生まれる前から立っていたであろう古木が2.3本、蔦が絡まった状態で、家を守るようにして囲っている。ラピュタにでてくるこわれたロボットみたいに。

家のまわりは草が茂っているが、よく見ると、ハーブやかわいいお花がいろいろ植わっていて咲いている。

香織ちゃんが、出かけるたびに拾ったりもらったりしたと思われる草花や野菜の苗を、植えたり挿し木したりして、少しずつ少しずつ増やしたのがわかる。

 

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お庭は楽しいほどにごちゃごちゃと賑やかで、少し歩くと畑があり、そこにはまた不規則に、でもリズミカルに畝が作られていて、いろいろなお野菜が豊かに実っていた。

まだ夏真っ盛りなので、いろいろな虫たちもたくさんいたが、不思議と蚊に刺されることもなく、晩ごはんの収穫をした。畑では虫たちをはじめ、色んな野菜、草花たちそれぞれに話しかけられて、スマホなんかよりも相当な情報量だった。

 

畑からは山の連なりが向こうのほうまで見渡せた。

 

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 晩ごはんは畑から採ってきた葉物をサラダにして、持っていったじゃがいもや玉ねぎは薪ストーブで火おこしをして茹でたり炒めたりした。

お米がないからと、餅米をご飯代わりに炊いた。

 

ご近所さん(といっても車で40分というていた)のパーラー雨のさっちゃんが、ひとりで会いにきてくれた。

さっちゃんこそ会うのは何年ぶり?の嬉しい再会だった。

 

香織ちゃんとさっちゃんと、一緒に行ったattaのせいこちゃんと4人で、夜遅くまで話した。

 

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話が尽きるとこんどは、ヨガをしたりマッサージやテルミーのしあいっこをして、からだについてまた話した。

 

香織ちゃんの家はひとりで暮らすには広すぎると思うけど、庭とは真逆にすっきりと物がない部屋は、わたしたちゲストにはほんとうに心地よい、高価な山のホテルのようだった。

 

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翌朝も畑から、サラダにする野菜を収穫して、持って行ったパンとで軽めの朝ごはんを食べた。

朝のゆっくりした時間が心地よくて、香織ちゃんが馬頭琴をでたらめに弾いているうちに、せいこちゃんはまた寝てしまった。

わたしも馬頭琴の音色に惹かれて、好きに弾いていると、香織ちゃんがかぼちゃのアイスクリームを作ってくれた。

滝におよぎに行ったあと、食べる用だ。

 

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そして車で、行ってみたかった滝に連れて行ってもらった。

車はどんどん山の上。

香織ちゃんはすれ違う車の人、みんなと、ちゃんと目を合わせ挨拶していた。

 

滝のなまえは龍神の滝。

龍が悠々と泳いでいるようにみえるからだと、説明されなくてもわかるくらい、迫力があり美しい場所だった。

 

山あいにある滝なので、陽があたるのが正午のたった1時間くらい。

なので、その時間じゃないと寒くて水には入ることができないそう。

その滝は、滝にしてはめずらしく滝壺まで泳ぐことができる。

わたしはどうしても、この滝に入りたかったので、寒くても無理してどんどん入っていった。

水の冷たさで耳の奥が痛かったけど、がまんして潜った。

 

香織ちゃんが岸のほうで横笛を吹いている姿がボンヤリ見えた。

わたしは龍になったようなきもちで、水にからだを浮かべた。

水が落ちる音が凄くて、誰の声も、笛の音も聞こえなかった。

 

水からあがると、香織ちゃんが水筒からあったかいお茶を、口の広い木のお椀に注いでくれた。

心からほっとして、きてよかったって思った。

 

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帰ったら、香織ちゃんのお気に入りの散歩コースを案内してもらった。

散歩というても、なかなか険しい道なき山の中をのぼったりおりたり。

栗が落ちていたり、アケビの蔓をみつけたり、青柚子をちぎったり。

香織ちゃんは、こころからこの山をきにいっていた。

 

 

あっというまの高知のたび。

道中せいこちゃんと色んな話ができたのもよかった。

せいこちゃんは、私がやっちゃんの話しかしよらんかったと言われたが、そんなことない。せいこちゃんの普段はしないような話が聞けて、よかった。

 

香織ちゃんの暮らしにふれて、わたしは自分のしたい仕事や、暮らしが明確になった。

しばらく余韻を楽しんでいたが、余韻ていうより、相当な刺激を受け、これからの道すじにはっきりとした輪郭がみえてきた。

香織ちゃんの暮らし、また見たい。

迷ったら、行く場所になると思う。

 

 

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写真 井上香織

 

おやのわ、はじめました

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ことしは梅雨のはじまりがおそかったので

夏が来るのがおそい氣がする。

まだ蝉の声もあまり聞いてない。

 

ろうそく夜でときどき、「かあちゃんの会」という

お母さんのしゃべり場みたいなものを主催している。

子育てのこと、子どものこと、母としての「わたし」のこと、

それ(思い)を話す(出す)場が、お母さんたちに

必要なんじゃないかと思って。

 

そのような場がなくとも

それなりに消化しながらのりこえていけるお母さんももちろんいると思う。

でも、そばに共感してくれる友だちや家族がいなかったり

相談できないまま、我慢したり、頑張りすぎたりして

ときどきひずみとなって苦しくなる、という人は

少なくないように思う。

 

わたしは、どちらかというと若いうちに子育てがスタートしたほうなので

まわりに話せる人がいなかった。

似た立場の人がいなかったな。

それに仕事もしていなかったので、

ずーっと慣れない子育てに追われて

なんかモヤモヤして、子育てを楽しむ余裕はまったくなかった。

 

のちに、素敵な保育所に出会えたおかげで

自分の思いを出すことや、共感しあえることで

子育ての大変さはのりこえられるということを知った。

もちろん、共感しあうだけじゃなく

自分はどう思うか、どう考えているか

人との違いをおそれず、自分の意見を伝えるということも

たくさんたくさん経験させてもらった。

 

 

そのかあちゃんの会のようなもの(月いち子育て座談会)を、この夏から

日々太の通うこども園でもはじめてみルことにした。

日々太は上の3人とはちがう、近所のこども園に通っているが

ここも独特でいい保育園だ。

園長が、とても柔らかく大らかな人なので

園としてもこころよくサポートしてくださることになった。

本当にありがたい。

 

 

会のなまえは「おやのわ」にした。

先月1回目を開催したけど

わたしが思っていた以上に

みんな「あの頃のわたし」だった。

まだ子育ての楽しみも知らない。

自分のままでいいって、なかなか思えなくて

誰かにいうてほしくて、でも誰もその氣もちを知らなくて

モヤモヤしてる、わたしみたいだった。

そしてお母さんたちを抱きしめたくなった。

 

おやのわ、または、かあちゃんの会は

こころをひらいて、思いを出してもいいんだ!

ここで何喋ってもいいんだって、

その心地よさがわかってからが

スタートだって思っている。

そこからようやく

ほんとうのの子育てがはじまると思っている。

 

ほんとうの子育ての歓びを知ったわたしは

やっぱりどうしても

「あの頃のわたし」に伝えていく役割があると思ってしまう。

 

必要な人に届いたらいいなあと思う。